2001年10月の記録

北寧 in チャイナ 4 〜国慶節と中秋節〜

2001年10月2日火曜日 22:09送信

こんにちは。日本もそろそろ寒くなってきているのではないでしょうか。わたしの方は、からだの調子もほとんどよくなって、ひと安心です。健康だけがとりえだったので。

初めての体育会

この前の土日は体育会でしたが、日曜日は雨のため流れていきました。

ちょっと嬉しかったりして・・・。体育祭は朝の6時から夕方の6時まで。疲れますよ〜。本当に中国の人は「タフ」だと思います。

日本の体育祭と違うところは、みんながばらばらの競技をしていることでしょうか?うちの高校だけかもしれませんが。例えば、グラウンドの一方で、綱引きをしていると思えば、他方で、徒競走をしていたり、走り高跳びや幅跳び、砲丸投げをしていたり、と。一見、体力測定かな?と思ってしましました。でも応援はすごいですよ。みんな、太鼓を叩いたり、(またこれが大きいんです)ラッパを吹いたり・・。

わたしもリレーに参加しました。病み上がりでしたが、100メートルの間に3人抜かし、大健闘!! 学生も喜んでくれました。

国慶節での農村生活

体育祭も終わり、中国では国慶節という休みに入りました。わたしの学校では10月1日から5日まで休みです。そして今年は中秋節(農暦の8月15日でこの日は月がとてもきれい。月餅(ゲッペイ)を食べて月を見る)が10月1日ということで、祭日が2つ重なり、とてもめでたいということで、同僚の先生の実家にいっしょに遊びに行くことになり、9月30日から3日間行って来ました!!

先生の実家は本当に農村。わたしの今住んでいるところもかなり農村なんですが、行ってみてすぐ分かりました。今住んでいるところの田舎さは、まだまだ甘い・・・と。

車で1時間の黒山という農村です。中秋節には親戚中集まると聞いていたんですけど、本当にすごい人数が集まっていました。20人くらいでしょうか。近所の人も、初めての日本人を見ようといっぱい集まっていました。パンダ状態でした!! みんな真っ黒に焼けて、しわくちゃなんですが、本当に気さくで人情にあふれてて、3日間楽しくすごしました。

文章で説明するのは難しいですね。本当に道はガタガタ道だし、アヒルや鶏や豚が道を野放しで歩いているし、家は本当に小さくてレンガを積み上げた平屋でした。わたしは戦後も知らないし、どう言ったらいいか分かりませんが、なんか何とも言えない懐かしい風景でした。私たち日本人から見れば、きっと貧しく思えるような風景ですが、そこには生活の知恵がいっぱいでした。

東北の冬はマイナス30度にもなるので、韓国のオンドルのような床になっていました。人が入るくらいの大きい釜が2つあって、そこで毎日おいしいご飯を焚いていました。トイレはもちろん家の外にあって、庭にあなが掘ってあり、少し囲いがあるだけでした。意外にも結構快適でしたよ!!

私たちから見れば、驚いたり、それは不便だなあと思ったりしても、それは日本人から見た視点なんですよね。こっちに来て学ぶことが多いです。

朝は子供たちと豚やアヒルを見に行ったり、お母さんたちと片づけをしたり、昼は近所の人と一緒におしゃべりしたり、さとうきびを食べたり、みんなでバトミントンをしたり、夜はビリヤードをしたり、月を見たり、日本語を教えたり・・・。のんびりしていますが、時間を楽しむということを、みんなから教えられた気がします。ゲームがあるから遊べるんじゃない。自然のもので子供たちはずっと遊んでいました。一緒に遊んでクタクタでしたが!!

中秋節の日に月餅を食べながら見た月は、真っ暗な農村をこうこうと照らしていました。「月まで歩こう!」といってみんなで夜散歩したことは生涯忘れないと思います。

のんびりばかりはしていられません!! 今の時期は農民にとって一番忙しい時期だからです。今日の朝、お母さんたちと一緒に野良仕事をしてきました。50メートル × 50メートルの土地にトウモロコシを作っているんですが、それを一気に刈り取るという仕事です!!

とうきび(トウモロコシ)は2メートル以上あり、その茎を鎌で一つ一つ切っていくんです。6人で、刈って刈って刈りまくりました!! 鎌を持ったこともないし、とうきびを近くで見たこともないし、初めての体験!!なかなか難しい!!

お母さんは65歳ですが、どんどん刈っていきます。速い速い!! また休まないんですよ。最初は面白がっていたわたしも、バテてしまい、腰は痛いし、手に豆はできるし。でもここは根性出して、と思い頑張りました。3時間刈り続け、横たわるとうきびを前にみんなで梨を食べました。風が気持ちよかったです。わたしにとって本当にいい機会でした。

中国では、どんどん都市部と農村部の格差が大きくなっています。農村の人たちはこれだけじゃ生活していけず、町に行って、工事や力仕事のアルバイトをしたり、レンガなどを売ったり、副収入を得ています。

わたしがお世話になった家も、お父さんが5時頃豚を売りに行っていました。またその親戚のお兄さんは、3時半からレンガを安く買いに行っていました。少し高く売って、収入にするためです。みんな一生懸命生活のために頑張っています。

みんな笑顔が素敵で、冗談ばっかり言って、底抜けに明るいです。お母さんが昔の話をしてくれました。昔はもっと貧しくて、家を泥で作ってたそうです。電気もなく、ロウソクもなく、草の油を燃やしていたそうです。

なんと今のわたしは物に恵まれているんだろうと思いました。お母さんや、みんなの器の広さ、心の温かさは、そんな苦労を乗り越えてきたからこそ、あるんだろうなと思いました。大切なことを教えてもらいました。

わたしも苦労して、もっと人の気持がわかる、苦労がわかる温かい人になりたいと思いました。この2年間、短いですが自分の使命というものをまた感じることができました。力不足ではありますが、国や民族という垣根を超え、対話を重ね、友好のために平和のために、自分らしく活動していきたいと思います。今回、長々と書いてしまいました。すみません!! 昔から、文章力がないくせに、感受性はまあまあ強いので、表現しきれず・・・です!!!!

今回はこのへんで。みなさま、楽しみに見てくださっているようで、とても嬉しいです。くれぐれも、お体に気をつけてくださいね。では!!