2002年2月27日水曜日 19:20発信
中国に帰ってきたら、「3月の4日から授業だから」ということになって、拍子抜け。まだ休んでいいのか?とかなり働かない人になっていますが、気合い入れないと!
時間があるので、一気にタイ旅行編を今打っています…。
タイ旅行の思い出
バンコク〜チェンマイと旅行して、スコータイに降りて、アユタヤの同期協力隊員の活動を見て、チョンブリーの協力隊の活動を見て、更に南下しソンクラーの隊員の活動を見る…。
いろいろ計画を立ててたんですが、バンコク〜チェンマイに来た時点で、なんか風邪をひいて39度の熱が出ました。なので計画変更。のんびりスケジュールに切り替えました。
確かにマイナスの国から常夏の国に来れば、身体もびっくりですよね。
チェンマイでゆっくり療養してバンコクに帰って来ました。そして同期隊員のいるアユタヤへ。アユタヤの名前は「遺跡があるところ」「山田長政がいたところ」などとともに聞いたことがありましたが、町中広い公園のようで遺跡や寺がたくさんあり、とてもよかったです。
同期隊員はラチャパット大学で日本語を教えています。初めて今回日本語の専攻ができて、教科書作りに、体制作りに頑張っていました。
こんなきれいなところに住めていいなあ〜とのんきに思いましたが、それぞれ悩みはあるようです。かなりのハードワークでちょっと痩せていました。
でも元気いっぱい、学生のため、タイの日本語教育のために頑張っている隊員を見てわたしはまだまだだなあ、頑張ろう!!と力をもらいました。
その後、一人で自転車を借りて遺跡めぐりをしました。ほんとにいい天気だったので、自転車で町を駆け抜けるのは気持ちがよかったです。かなりそんな自分に酔いながら(?)町中まわりました。確実に顔は焼けていましたが…。
ここを回ったときも歴史を把握していなくて、もったいないなあと思いました。アユタヤの遺跡は戦いのときに被害を受け、壊されたものが多かったです。
首のない仏像がたくさんありました。心が痛かったです。
「地球の歩き方」を手に回っていましたが、詳しいことが書かれていなくてちょっと残念でした。
ある遺跡のあるところでちょっと腰を下ろし、かばんの中を整理していたら、かばんの中のパンを見て犬が寄ってきました。
「わ〜、狂犬病になったらどうしよう!!ワクチンないぞ」と思いながらもパンを差し出さないわたしを掃除のおばさんが助けてくれました。
「コップンカァ〜(ありがとう)」とお礼を言うと、おばさんが英語でいろいろ話し掛けてくれました。お互いかなり怪しい英語で話していたんですが、
「一人でまわっているのは寂しいから、お昼ごはんを一緒に食べよう」と誘われ、掃除のおばさん3人とゴザを引いて木陰でご飯を食べました。というかご馳走になりました。
屋台で買った豚のレバーと豚肉となんだかよく分からないおかずが3品、あと大好きなパイナップル!
小さい頃は知らない人について行ったことはありませんが、大人になってから、ついて行ってしましました!!
遠慮なくバクバク頂きました。あと2人のおばさんは英語ができないのでジェスチャーとわたしの知ってる限りのタイ語。
「サワディ〜カァ〜(こんにちは)」「コップンカァ〜(ありがとう)」
「アロ〜イ!(おいしい)」「マイペンライ(平気…あってますっけ?」「サッパロ(パイナップル)」の5フレーズを駆使してランチタイムを楽しく過ごしました!
さわやかな太陽の下、広々とした緑の上で、遺跡を見ながらご飯を食べたのは本当に気持ちよかったです。苦手なレバーも食べることができました…。ハッハ。ꉂ(ˊᗜˋૢ)
おばさんたちとお別れをして違う遺跡に行きました。そこには大きな塔があって登ることができました。
その階段の一つ一つがあまりにも大きいことに気づきながらもかなり上まで来ているのでどうすることもできず、命がけで登っていると、「登るところ間違っていますよ!」と日本語が…。
見てみると左右にきちんとした階段がありました…。わたしの後について登っていた欧米人の人も日本語は分からずとも気づいたのかそそくさと下りていました。
「すみません。ありがとうございま〜す」恐る恐る降りました…。
本当に遺跡が多いんですよ!アユタヤは町が4方川に囲まれていて島のようになっているんですが、自転車で回ることができます。それほど大きくはないです。そのなかに遺跡が1000もあるそうです。(だと思います。間違ってたらすみません…)
もう一度タイの歴史をかじってから、訪れたいと思います。
(また後日、デジカメの写真をアップしますね)
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