2002年の記録

北寧 in チャイナ 21 〜ハルピンの旅その1〜

2002年1月27日日曜日 13:35送信

みなさま、こんにちは。1月に半年に一回の隊員総会が北京で行われ、その後、中国の一番北にある黒龍江省のハルピンに行ってきました。


みなさんも「ハルピン」という地名は聞いたことがあるのではないでしょうか。大学時代の友人、協力隊の友人、合わせて4人でハルピンを訪れました。


ハルピンは「東方のパリ」や「東方のモスクワ」と呼ばれていて、ほかの中国の都市とは違った西洋的な文化が漂っている町です。19世紀の末までは、本当にうら寂しい漁村だったこの町が、帝政ロシアと清朝の不平等条約によって開始された東清鉄道の建設で、帝政ロシアの支配下のもと、近代都市として大きな変化を遂げたそうです。


まず、第一印象は「さむ〜!!」さすが中国で一番北にある省都です。今年は暖冬だったので良かったですが、毎年どんな寒さなのでしょう?


続いての印象は、「町並みが美しい!」ということでしょうか。ハルピンには教会建築、ゴシック建築、バロック式、ロマン派建築などいろんな建築様式で建てられている建物があちこちに見られました。


ハルピンといえば…ハルピンビール、ロシア教会、餃子、ハルピン氷祭り。いろいろありますが、日本人が忘れてはならないのが、「七三一部隊」のことです。
大学生のとき、自治会が開いた大学祭の「七三一部隊展」を見学しました。はっきりとその歴史のことをそれまでは知らなかったのですが、その展示を見て衝撃を受けました。
あまりにもむごい人体実験を行ってきました。もう一度、ここハルピンで自分たちの目でしっかり見てこようと、「七三一部隊罪証陳列館」に行ってきました。


そこは市内から20キロほど離れたところにありました。1936年から1945年までそこで、日本の七三一部隊は細菌兵器の研究開発、人体実験を行っていました。約3000人もの中国人や朝鮮人、ロシア人が人体実験のため、虐殺されたそうです。


そしてその人たちをいろんなところから捕まえたり、いろんな無実の罪をきせて捕らえたりして、「丸太(まるた)」と名付け、人体実験の「道具」として使い、殺していったのです。

その人体実験は31種類あったそうです。飢餓・凍傷・ペスト・細菌埋め込み・人と馬の血液交換注射・毒ガスなど。その展示には模型が使われ、当時の様子を生々しく再現していました。ペストの実験では、ある農村にペスト菌を撒き散らして、その村で何人ペストで死んだのかを実験したそうです。


さらに開発した細菌兵器を使って、中国各地で細菌戦を行いました。それで亡くなった中国の方は約3万人といわれています。


戦時下の狂った行動に心から怒りを覚えました。本当に戦争だけは許せないと思いました。アウシュビッツだけではないのです。殺された方たちはどんな思いでいたでしょう。わたしはもっと歴史を知らなければいけないと思いました。


最後のほうの展示で、元七三一部隊の証言が書かれていました。日本が敗戦して、撫順で捕虜として収容所に入ったとき、中国人の自分たちへの態度は、本当に人道的であったと…。そこを読んでなんともいえない気持ちになりました。


中国に来て半年経ちましたが、私の町は田舎ということもあってか、いままでに戦争のことでいくつか中国人に聞かれたり、言われたりしました。
トータルすると50回くらいはあるので、ほかの協力隊員や中国に駐在している日本企業の人より多いと思います。


「日本人は人殺しが好きか」
「日本人は中国でたくさん人を殺したんだ」
「教科書問題はどうなってるんだ」
「親戚が日本兵に殺された」
「バカヤローってどんな意味?」
「大東亜帝国万歳!」


はじめて言われたときは、びっくりしましたが、これも日本軍が残した爪あとです。
誠実に自分の思いを伝えました。『国という垣根を越えて日中友好のために自分のできる分野で貢献したい』というこちらの中国に来た思いを語ると、少しずつ距離が近づいてくるのがわかります。

あるとき、学校の先生方と承徳に旅行に行ったのですが、そのとき、どこの観光地に行っても、日本軍が遺跡を破壊したり、虐殺したりした歴史があって、ガイドさんがそれを説明していました。

それは中国に来たばかりだったので、あまり聞き取れませでしたが、先生たちがわたしの方をずっと見て笑っていたので、日本人として辛いし、本当に不快な気持ちになりました。日本人として真実の歴史から目を背けてはいけない。しかし、連日そういうことが続くと、「私とは関係ない!」と言いたくなる気持ちが出ました。


その葛藤で悩んだときもありましたが、まわりの中国人は何でも聞くことに悪気はない(すべての中国人というわけではありません)、ということが分かってから、攻撃されているとあまり受け止めなくなり、そこまで心を痛めなくなりました。

そんな話題を聞かれたときは、やっぱりごまかさないで誠実に話してお互い歩みあっていきたいと思います。初対面でしかも大勢の前で聞かれることが多いので、それはまだ慣れませんが。


いろいろ思うこともあったのですが、今回あの展示を見て、戦時下では、何かしらの大義名分を立てて、こんなに非人道的なことをしていたのだと知りました。戦争が人間の心を変えるという恐ろしさを知りました。この展示は「過去の非道な行為を未来のため、将来のために忘れない」と言う建設的なものでした。


日本ではなんでも水に流す傾向がややあると思いますが、どの国が悪いと批判するのではなく、戦争という負の歴史を忘れない、繰り返さないために知るということは大切だと見学しながら、友達と話しました。


今も戦争が行われていて、どんなに苦しんでいる人がいることか。どんなおもいで亡くなっているのか。そんなことは許されることではないと改めて感じています。戦争の終結を心より祈ります

またまた長くなってすみません!!みなさまもお体をお大事に。

(元ロシア正教会として使われていた「セント・ソフィア教会」の写真を後日添付します。今は建築博物館になっています)

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