2002年2月の記録

北寧 in チャイナ 24 〜タイ任国外研修旅行 涙の中国出国編〜

2002年2月26日火曜日 21:20送信

みなさま、こんにちは。

前回書きましたように、2月5日から24日までタイに研修旅行に行ってきました!!

この題名を見て、「ん?なんで涙なんだ?そんなに中国が嫌だったのか?」と思う方もいらっしゃると思いますが、その訳があるんです。…フッフ。ドラマがあったんですよ。

今回はそのあたりを書きたいと思います。大連で2月4日まで日本語研修会があったので、2月の5日に大連から北京まで13時半の飛行機で飛んで、このあと、北京から20時半の飛行機に乗ってタイのバンコクまで飛ぶ。北京では4人の同期隊員と待ち合わせをしていました。

2月5日。その日はとても霧深い日でした。大連でいっしょに仕事をした友達は、その日船で「煙台」まで行く予定でいっしょに大連の繁華街まで出てきました。

「この霧で船出るかなあ?」「大丈夫かな?」友達の船を心配しながら別れ、一人大連の空港までやってきました。そこで見たものは…。

『飛行機 霧のため 全機 遅れる…』

あ!!そうかあ、飛行機のほうがやばかったのか!

わたしの乗る飛行機は、しかも「取り消し」とのこと…。今日北京初20時半の飛行機に乗らねば…。どうしようどうしよう!!

とにかくチケットの変更をしてもらいにカウンターまで行きました。並ばない中国人に負けないで、人が殺到しているカウンターにたどり着くためには、ちょっとした手口が必要です。

「わたしは外国人です!!困ってます!!」とこんなときだけ外国人をアピール。ちょっとまわりの人たちがわたしに注目した隙になんとか変更チケットをゲットしました。中国に来て更に生きる術(悪知恵?)がつきました。

変更しても、外は霧で真っ白。30メートル先は全く見えないという状態。飛行機が飛ばないという問題の前に、飛行機が大連空港に下りてこないので、空港には一機も飛行機がないということを、中国人の噂で知り、またまたがっくり。

しかし、わたしの取ったチェックインがなぜか始まったので、また淡い期待を持ちました。

期待したり、裏切られたりの連続で、どんどん時間は過ぎていきました。でもこればかりは天候のことだから、誰にも怒りはぶつけれません。でも、みんな空港に足止めされているのに、いらいらしている人はほとんど見受けられません。

トランプで盛り上がってるチームもチラホラ…。

さすが!!中国人!!やるなあ!と思う反面、今日ダメだったらどうしよう…と悲しくなるばかり。

今日飛行機が飛ばなくてタイ行きがダメになって、めんどくさい手続きをしても何日か後に行けるならそれでも良かったんですが、日本からの友人とタイで会う約束をしていて、その友人は2月3日から7日までの予定でタイに来てくれるので、絶対この日に飛ばねば!!と思いました。

しかもその友人はすでにタイにいるし、せっかく来てくれてもタイで会えなかったら…。天候が理由としても…。かなりブルーになりました。

となりの中国人が「天が決めることは人が太刀打ちできない」という「人算不如天算」という決り文句を教えてくれました。本当にそうだ〜〜〜と思いながらも悲しくなりましたが、なぜか単語帳にその文句を書き写していました。

どうせ待つんだから、勉強しとかないと損だ!でも、絶対間に合うぞ!!と心の中で祈っていました。

たくさんの人に助けてもらって飛行機に乗り、タイへ…!!

あっという間に5時になりました。大連から北京まで1時間のフライト。もし6時に飛べたとしても7時に着く。国際線のチェックインは3時間前だし…。

だめなのかな〜。なんて運が悪いんだ…。そう思うとかなり悲しくなって泣けてきました…。涙がつーっと流れて、ぽつんと座っていると隣のお兄さんやおじさんが「どうしたんだ?どこに行くんだ?」と聞いてくれました。

「北京です。そのあと20時半の飛行機でタイに行かなくてはいけないのに…。間に合わないかもしれないんです…。どうしよう…」

「そうかあ、タイかあ。タイにはどうしていくんだ??」

悲しくてかなりブルーになっていたわたしですが、「生きる術能力」がピピッと働き、これで旅行に行くというのはインパクトに欠けると思い、「タイにお父さんがいるんですが、病気になったんです。昨日お母さんから電話があって、早く着きなさいって言われたんですが…。ああ~~~~~!!」と言ってしまいました…。今思えば何ということ!!と思うんですが、かなりの疲労感がそうさせたんでしょうか?

「そうなのか!!そりゃ大変だ!!ちょっと待ってて!!」その人たちはわたしはカウンターに連れて行ってくれました。わたしの事情を一生懸命説明して、どうにかならないか、と必死で聞いてくれていました。

その時です。空から一機の飛行機が舞い降りてきました。

みんなは大歓声で拍手をして飛行機を迎えています。雨の島で漂流して救助の船が来たかのような勢いです。そして数分後その飛行機が18時半初の北京行きに決まったとアナウンスがありました。

そのおじさんはカウンターで更に説明をしてくださり、係員の方も必死で動いて下さいました。あっちへ行って手続きをしたり、こっちへ来て手続きをしたり…。

8回くらいあっちこっちうろうろしましたが、いろんな人に助けていただいてその飛行機に乗ることになりました。

「おじさん、お兄さんは乗れないんですか?」と聞くと、「僕たちはいつでもいいんだ。大丈夫。早く行きなさい!!」と言ってくれました。

感謝の気持ちでいっぱいで住所と電話を聞いて飛行機に飛び乗りました。

乗れたとしてもすぐ飛ぶとは限りません。また心配になっていると、隣のおじさんが「どうした?」と聞いてきました。

また説明すると「きっと間に合うから!!大丈夫!」と言って客室乗務員さんにも説明してくれました。飛行機は6時半過ぎに飛んで順調でした。

着陸態勢に入ったとき、客室乗務員さんが「タイ行きに乗り換えるんですよね。では前に来てください!」と。

一方では他の人に「シートベルトを締めてください。着陸態勢ですから」と言いながら、わたしを間に合わせるために、グラグラ揺れる着陸時ではありますが、前に行かせてくれました。

みんなに「ありがとうございます!!」と言って、着陸後、国際の乗り場まで休まず走り続けました。

着いたのは8時。本当だったらチェックインもできない時間ですが、「あんたが最後の一人だよ!!どうしたんだ、汗だくで!!」と、のんびりだらだらのパスポートコントロールのお兄さん。

「いやあ、大連が霧で、なかなか飛ばなくて…。もうダメかと思ったんです…」

「そんなに急がなくても大丈夫だよ。ところで中国で何してるの?給料は??」「……」⸜( ¯⌓¯ )⸝ヤレヤレ

そしてタイへ行く飛行機の待合所で3人の隊員を見たとき!!!感動…。涙涙…。

さんざんお騒がせした北京事務所に電話をして乗ることができたと報告。本当にお騒がせ致しました。

これで無事タイへと旅立てたわけですが、嘘をついてしまった自分にちょっと反省しながらも、人のことを親身になって助けてくれた中国人の温かさに感動しました。

この日は中国に来て、一番中国語を駆使した日だったし、一番、運を使った日だったし、そして一番中国人の人を助ける「熱さ」を知った日でした。

後ろ髪を引かれる思いでタイへ…。この3週間後にはタイに後ろ髪を引かれながら帰ってきましたが…。人間ってのは勝手なもんですね!笑

(また後日、タイ、バンコクのエメラルド寺院をアップしますね)